5/16 早朝バイト寝坊し、映画を観た後大学。そして夜バイト。
5/16 早朝バイトだったが、2度寝をしてしまい遅刻。気をつけていきたい。昼はサマーウォーズを友達と視聴!やはり面白い!!
講義を受け、その足でバイト先に出向く。危うく違算を出すところでした。返品にまわりました。
今日は早起き、午前は読書と歯医者、午後バイト。
5/8は4時半に目が覚めた。まず、一日のやりたいことを書き出した。そして習慣の筋トレをした後、読みかけの本を読み切った。
もともと予約していた歯医者にいき、顎関節症だと告げられた。その足で学校に向かい、昼飯を食べた。
夜はバイトがあったので働いてきました。
周囲への感謝を忘れずに。
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気づいたら救急隊員が目の前にいて、担架に乗せられ病院へ向かっていた。
先日初めて救急車で運ばれた。
まず、驚いた。
いや、驚いてすらいなかったかもしれない 。
自分のみに何が起きていたのかいまでもよく覚えていない。どうやら気絶してしまったらしい。
その日は友達と遊び、そのまま友達の家で泊まりとなった。そして、夜遅くまで映画を観て、そのまま寝落ちしてしまったようでした。お前めっちゃ早く寝落ちしてたぞ笑笑と言われたほど早かったようです。
テスト期間がようやく明けて、睡眠不足と疲労からそのような結果に繋がったのかなぁと今では思います。
ちなみに映画はOO7だったような気がします。んー、個人的には面白いのか面白くなかったのか判断する前に寝てしまったのでなんとも、、
そして、朝目覚めました。どうも体調が悪かったのです。元々、てんかんをもっていて今日分の薬の服用を忘れていたのでまずったなぁと思いました。
急いで帰り、薬を飲まなきゃと思った時にはもう遅すぎました。
薬の効果というのは偉大ですね。
そして、最近てんかんの作用が出ていなかったという慢心からこんな結末を迎えることになってしまったのだと反省しました。
1度出てしまえば、立つことすらままならない状況でした。
友達に自分のこのような姿を晒すことに恥じらいを覚えました。
恥ずかしい、恥ずかしいと。
そして、なんと悔しいことだろうかと。
しかし、ちかくに友人がいてくれなければ私はどうしていたのでしょうか。
深く感謝しなければなりません。
ありがとうございます、と。
今回ばかりは死んでいてもおかしくなかったかも知れません。気絶しているときに机に思い切りぶつけたり、泡を器官に詰まらせて窒息死することだってあるようです。
生きていてよかったと思えました。
できる限り、今できることはやるべきだと改めて思います。
あぁ、情けない
今週のお題「冬の体調管理」
本当の話に混じえて、嘘の小話をしていきたいと思います。ほんのちょっとお付き合いいただければ幸いです。
この出だしはちょっとちょっと詐欺ですね。私はよくこれでキャッチに捕まります。皆さんも気をつけましょう!!
では、よろしくお願い致します。
「トイレ君よ、お前はもう俺の大親友だな」
とか呟きながら、かれこれ私は便座数時間離れられずにいる。お腹に爆弾がいやがる。ぎゅうぎゅと上から横からと押してくる。なぜ下からは押してこないのだろうか。そうしたならば、私はこの場から逃げ出すことも出来るだろうに。
ニュースではもっぱらインフルエンザが猛威を奮っていますと、私の周りでは誰もなっていないので大袈裟だなと思いながら聞いていた。流行りものに目がない私なのだから、風邪っぽいなと今朝感じたときには、ついに来たなと身構えたのは当然のことである。
しかし、なぜこうなったのだろか?熱は37.1と低空飛行を貫き、少し頭がぼーっとするくらいだった。が、悲劇はいつも唐突だ。
なんか腹が痛いなと思い、トイレにゆらゆらとはいってしまったが最後、今に至る。
とにかく痛い。しかも鈍い痛みなのだ、これには日頃から天井ぶつけたりするのような鈍臭い男である私。関わる全ての者に鈍臭い男だと思わせる私。大抵の天井にヘディングをカマスときのような炸裂的な痛みには強い私だが、この痛みは違う。この痛みは鈍いのだ。炸裂するような早さには強い私だが、鈍さには弱い。
ようやく、大親友から離れることが出来た私だが薬がないのだ。それでも何かないかと探し回ったら、一人暮らしをはじめる際に母が詰めてくれた透明な箱を見つけた。
そこにあったのだ。私が欲してやまないものが。
遠く離れていてもなお、私の体調は母に管理された。私は悔しかった。嬉しいが、悔しいのだ。親から離れるために、家を出たはずなのにこのザマだ。独り立ちが聞いて呆れる。
「体調管理くらい、自身でできるようになれ私。 いつか、親に追いつける日が来るのだろう」
私はそう思いながらも、薬を服用した。
手洗い、うがいする。これが私の決心で体調管理でする
ニセモノに価値はあるのか?
1/26
学生の本業であるテスト期間に久ぶりに更新するという、現実逃避の鏡のようなことをしている私です。
なぜこのアプリを入れたかと言うと、日々思いついたこととかをアウトプットする場所が欲しいなと思い導入致しました。ついでにこのブログとかでフリック打ちを練習しようという魂胆もあり、私にとっては一石二鳥なんですね。
ですから本来もっと多くの更新ペースをしてもいいはずですね、、、これからはペースを増やそうと思います。
閑話休題。
「それは偽善だ」
この言葉をよく聞きます。席を譲ったり、募金をしたり、など日常の何気ない行動で言われることもあります。いわゆる人助けみたいなことを指すように思われます。そしてそれをなぜ偽善というのだろうか、誰も不幸を被っていないのではないか?と感じたことはみなさんはないでしょうか?
では、そもそも偽善とはなんでしょうか?
ぎぜん【偽善】
本心からではない、うわべだけの善行。 ⇔ 偽悪大辞林 第三版の解説より
このようにググってみたら出ました。
まず、これを見て思うことは善とはなんぞや?という点ですね。
この問は倫理学の大きなテーマというか、倫理学を表すような問だなと勝手に思っています。
その問について、語れるほどまだ知識がないですが、今のところは個人的に功利主義が納得のいく善の考え方なのでその考えを参考に偽善について考えていきたいと思います。
先の引用に書かれているように、偽善とは本心から思っていないことのことを指すようですね。席を譲ったりする、募金をするのどこがみなさんは偽善だと感じるのでしょうか?私はそういったことによって、その行為をしている自分に酔っているから偽善だと感じるのだと思います。優越感のようなものなのかなと思ったりします。実際、私もそういった行為をすると清々しい気持ちがしますし、心地がよいです。よいことをしたと酔ってしまいます。確かに!この心地良さを求めてそういった行為をしてしまっているかしれません。確かに、人を助けたいということを純粋に動機としているかは微妙です。
しかし、それで誰かがそんをしているのでしょうか?むしろ関係している人に良いことしかないじゃないかと思います。偽善は別に悪いことじゃないのではないか?そう思います。
確かにそうですね。その通りだと今でも思っています。けれども、こうも考えられるのではないかとも思うのです。
もし自分が相手の善行の動機を知ってしまったらと、それが悪いと感じられるものだとしたらと。
こうすると確かに偽善は悪いとなってしまいます。これに対して知らなかったら、偽善ではなくなる!と思う人もいると思います。
けれど、本当にそうでしょうか??その動機が知られることが悪いことではなく、その動機が悪いから行為も善いとは言えなくなってしまうのだと考えます。
実際にもしその動機が純粋なものだったとしたら、知られてしまっても何も悪くないです。よって、悪を含むのは動機を知ることではなく、動機が悪を含んでしまっている点です。
こう考えると確かに、偽善は悪いことだと思えなくもないです。
けれども、またまたこうも思うわけです!偽善によって生まれるプラスは、ただの善行よりも多いのではないか?と。
例えば、若い人が自分の好きな人に優しい所を見せたいという自分の欲求を満たす為に老人に席を譲る。
この場面は、老人を労わっているように思えるが、本心は別にあると偽善であるように思えます。
しかし、この場面ではただ若い人が善行をするよりも、多くのプラスがあるのではないでしょうか??
老人は席に座ることができ、楽を手に入れることも出来ますし、若い人もまた自分の目的を達成することも出来ます。一方、善行だけでは若い人の自己犠牲でプラスを手に入れることが出来るのは老人だけです。
こう考えると、偽善も決して悪くないのではないでしょう?むしろ、より多くのプラスを生み出しているので善行よりも価値があると考えることもできます。
ただ、善行によるプラスの方が質が高いというのは否めないとも思っています。
今回の話とは少し趣旨がズレてしまうかもしれませんが、物語シリーズの貝木泥舟というキャラクターのセリフが私の中ではとても大きく印象に残っています。
そこに本物になろうという意志があるだけ、偽物の方が本物より本物だ
偽物語より
この言葉がきっかけで、本当に本物って価値があるのかなと思うようになりました。